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2009年1月10日 (土)

十二月に観た映画

●昨年十二月に観た映画の感想、書きかけたまま、途中で風邪で寝込んでしまっておりました。今更だけど挙げておきます。

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●『トウキョウ・ソナタ』。黒沢清監督。前半はとても良かった。後半、狂騒的な展開にしてしまったのがズルい持って行き方。煙に巻かれた感じ。含みありそうな映画にはなっているけれど素直に褒められない。でも世間のベストテンなんかではいい所行く事でしょうな。
●伊丹万作の『赤西蠣太』。二十年ぶりくらいに観る。抜群に上手い脚本。白塗りの原田甲斐と、冴えない赤西蠣太、二役の片岡千恵蔵、やっぱりいいな。
●伊藤大輔の『忠治旅日記』。此れも掛け値なしの名画。残存しているのは三部作のうちの主に後半部分。中風に苦しむ、謂わば没落、敗残の忠治像。大河内伝次郎は勿論の事、伏見直江も実に素敵。澤登翠さんの活弁付き。上映後に、澤登さんと野上照代さんの対談あり。澤登さんのお話で印象に残ったのは、先日フィルムセンターで上映された戦後の伊藤大輔作品『番町皿屋敷 お菊と播磨』が素晴らしくて、感激のあまり他の映画を見る予定を放り出し、しばらくフィルムセンターの廻りを歩き回ってしまったとの事。あれは確かに凄い映画だった。自分も戦後の伊藤大輔作品の中では屈指の一本だろうと思っている。
●ジョニー・トー『エグザイル/絆』。センチメンタリズムの映画。銃弾フェチ向け。市井の人々の存在を全く排除する事でムードと情緒の世界を成り立たせている。男五人の「絆」は分かるけど、各人の背景や性格の描き込みが物足りなく、どうにも話の底が浅いのが残念。去年の東京フィルメックスで観客賞獲った映画だが、今年の『文雀』の方が洒落がきいてて好き。
●『その土曜日、7時58分』。シドニー・ルメット監督の健在ぶりが嬉しい秀作。フィリップ・シーモア・ホフマンが、弟を焚き付けて宝石店強盗を試みるが見事に失敗。何とか状況を糊塗しようとすると云う内容。此れが丸で内田けんじ作品みたいなスパイラル・ムービーになっていて、まことに興味深く見られた。シナリオの出来がいい。ホフマン好演。父と子の関係で胸に迫る部分もある。ただ、敢えて此所まで凝った脚本にせず、素直に時系列に沿った作りであったとしても、此の脚本家、此の監督なら充分立派な映画が作れたろうとも思う。スパイラルにする必然性は『アフタースクール』なんかに較べれば低いと云う気がする。此の「作り」が此の映画に本当に最適だったかどうか、ちょいと疑問が残らないでもない。ひねた観客ですまない事だが。
●新文芸坐でダルデンヌ兄弟特集のオールナイト。ダルデンヌ兄弟いいねえ。『イゴールの約束』。持ちアパートに不法就労外国人を多数住まわせている男と、其の息子が主人公。不慮の事故でブルキナファソ出身の男が足場から転落して死亡。其れが当局のガサ入れの最中での事。咄嗟の判断で、主人公の大家、死体を隠匿。夜のうちにコンクリートに埋め、以後知らぬ顔を通す事に決める。死んだ男の妻は夫を捜し続ける。大家の長男イゴールは良心の呵責に耐えられない。ベルギーの社会状況の一端を生々しく示している映画。オリヴィエ・グルメがいいなあ。大好きな俳優だ。
●『ロゼッタ』は、キャンプ場のトレーラーに母親と二人暮らしの少女の話。母は薬物依存とセックス依存症。ロゼッタは感情の起伏の激しい娘。生活力は旺盛。知り合ったワッフル屋の店員の不正を密告して、自分が後釜に就いたりする。貧困層の生活ぶりを描く内容で、痛ましくもあるが、何より此の映画で注目なのは撮影。手持ちカメラが、兎に角主役ロゼッタばかりを追い続ける。全編ロゼッタ寄りで撮られた映画。密着しっきりの撮影で、画像に示される情報の大部分をロゼッタが占める訳だが、それでいて夫々の場面の全体的な状況もしっかり分かる様になっている。ちょっと感心させられる。
●『息子のまなざし』は、今度は職業訓練校の木工の先生をカメラが追う。手法は『ロゼッタ』と変らないが、映画の中身は全く異なる。主人公を演じるのが、ダルデンヌ作品常連のオリヴィエ・グルメ氏。彼の教室に、少年院から出て来た一人の少年が入って来る。実は此の少年、グルメ氏演ずる先生の息子を以前殺した犯人なのであった。少年は、先生が其の被害者の父である事に気づいていない。先生は、憎い犯人を相手に工作の指導を続けて行く。素朴な授業風景の中に、何とも知れない緊迫感が漂う。傑作だなあ。『ロゼッタ』と『息子のまなざし』と、丸で違う話を同一の手法で撮り分ける。ダルデンヌ兄弟の演出技法の一旦の完成が見られた作品だろう。此の監督の映画の中では自分は此れが一番好き。
●『ある子供』は、二十歳くらいのバカ夫婦が主人公。旦那の方、出来ちゃった赤ん坊を売って金に換えようとするが、妻は其れを取り返せと云う。何とか子供を返して貰うにしても、そうすると今度は金がない。旦那、子分を道連れにひったくりでいけない金を得ようとするも失敗する。警察に追われて逃げる男の姿。何だか誰もが見るいやな悪夢のようだ。音楽を全く入れないダルデンヌ兄弟。付随的な効果なくして面白い映画は充分出来ると主張するかの様な作風。ただ来月公開の『ロルナの祈り』には遂に音楽が流れるらしい。どんな出来になっているのか、楽しみだ。
●『地球が静止する日』。冒頭部分だけは良かった。あとはさんざん。黒人の子供が、何だか「子別れ」の亀みたいな芝居をする。出来の悪い人情噺の様な映画だったな。
●『ラースと、その彼女』。内気な弟が連れて来た彼女はリアルドール、即ちダッチワイフだった。人形に対して、丸で人に話しかける様に接するラース。「今夜は彼女と一緒にスクラブルをやるんだ」などと本気で言ったりしている。「呪術と複製」なんてことについて考えさせられる映画だ。ただ、彼を変態視するでなく、皆が温かく見守る所がいい。冷たく捉えると、たちまち後味の悪い映画になりかねない内容だから。人形が、町の人達にも愛される様になって行く過程が好ましい。もうちょっと笑える場面を作れる映画と思うのだが、そうしなかったのか、出来なかったのか。ともあれまずまず面白く見られる映画ではあった。
●シネマヴェーラで日活ロマンポルノ特集。小沼勝『縄と乳房』。SMを見せ物とする興行師イサオと小夜。二人が興行旅の途中京都の豪邸に招かれ、主の前でプロの業を披露する事となる。ところが邸の主夫婦は其れに輪をかけた変態だった。より過激なプレイが要求され、イサオと小夜は、秘密の地下室で夜を徹したSMプレイで身も心も困憊する。前半のイサオと小夜の仲は、丸で『鶴八鶴次郎』。ラストの錦秋の渡月橋の場面といい、成瀬作品を意識した様な部分があって面白い。
●曽根中生監督『不良少女 野良猫の性春』。河内の田舎から東京に出て来た少女が、男につかまって大久保あたりの雑居アパートに身を寄せる話。昭和四十八年頃の都内の街角があちこち見られる。ちょっと頭の弱い役に片桐夕子。ピッタリだ。ラストシーンは凄かった。幕切れでこんなにアッと言わせる映画は滅多にないぞ。
●根岸吉太郎監督の『女教師 汚れた放課後』。女教師に風祭ゆき。彼女は昔、秋田の学校へ実習に行った際、男に強姦された過去がある。彼女の証言で犯人が挙げられたが、実はそれは冤罪であった。犯人とされた男、三谷昇の娘が太田あや子。彼女と出会った事で、自分が冤罪を引き起こしてしまったと知った風祭さん、三谷昇と太田あや子に懺悔、贖罪をする。風祭ゆき、太田あや子の二人がなかなか魅力的だ。芝居は決してうまくないけれど。最後がつぐないの旅で、どこだかわからないけれど東北地方の海辺の旅館。朝日の当る海辺での風祭、三谷の抱擁の場面が美しい。太田あや子をナンパしてラブホテルでいちゃいちゃする青年に北見敏之。あんな若い時代があったのだねえ。
●アレクサンドル・ソクーロフ監督『チェチェンへ アレクサンドラの旅』。戦場視察型映画。ロシアでは、身内の者が戦地の兵士を訪ねて行く事が結構許されるらしい。そこで自分の孫を訪ねて、アレクサンドラおばあちゃんがチェチェンのロシア軍駐留地を単身訪れると云う話。
●フィルメックスで見た『私は見たい』は、カトリーヌ・ドヌーヴの目を通してレバノン南部の内線地帯の様子を捉えた映画。あれは半ドキュメンタリー。こちらはフィクションではあるけれど、作りは似た様なもの。物語性より、戦地の現実をどう切り取るかという手口が面白い映画。此の映画、イラク=クルディスタンの『僕たちのキックオフ』同様、色を抜いたセピア調の処理にも特色があった。然し流石はソクーロフで、出来は『私は見たい』『僕たちのキックオフ』とは較べるまでもなく素晴らしい。
●テンギス・アブラゼ監督の『懺悔』は凄かった。1984年のグルジア映画。近未来SFみたいな不思議なタッチの静かな作品なのだが、独裁と粛正への強烈な批判と諷刺に満ちている。「墓荒らし」のミステリアスな発端から始まって、話は薄気味悪い独裁体制へ繋がって行く。チョビ髭をはやした、黒いシャツにサスペンダーの市長が独裁者役。紳士的な態度で市民の家を突然訪れて、高らかにオペラの一節を披露したりする。無論寓喩。此れが何とも不気味な恐ろしさ。二時間半の長さだけれど、全く退屈させない。深く感服した一本。
●『そして、私たちは愛に帰る』はファティ・アキン監督の新作。トルコ出身の独逸の監督。トルコで反政府運動をしていた女子学生が、故国を逃れドイツに不法入国。一旦帰国した際に拘束され、監獄に入れられる。ドイツ人の女友達が、彼女を助けようと単身トルコを訪れる。と云った様な話なのだけれど、これに二人の肉親なども絡み、トルコ国内の複雑な問題などが次第に浮き出て来る。一口で筋を云って終れる類いの作品ではなく、多様で難しい多くの局面が描かれた映画。其れが、手際よく処理されて、面白く見られもする。
●監督のファティ・アキンは、前作が、トルコのミュージシャンたちを訪ね歩く『クロッシング・ザ・ブリッジ』でとても良かった。今回も上出来。すっかりお気に入りの監督になりました。一年のしめくくりとしても満足のいく、いい映画だった。

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