『紙人形春の囁き』を読む
●えらいことになってきた。京橋のフィルムセンターで溝口健二特集が始まる。先に恵比寿ガーデンシネマで一部溝口作品の上映があって、連日大混雑だったのだが、今度のフィルムセンターは、現存する溝口作品34本全ての上映だ。最も古い『ふるさとの歌』を始めとして、殆ど上映の機会がない『折鶴お千』『マリヤのお雪』『藤原義江のふるさと』なんてのまで上映される。
●『虞美人草』や『愛怨峡』は、フィルムが辛うじて現存はしていたが、今まで上映不能な状態だったらしい。其れがうまく修正できて、今回数十年ぶりに公開されるのだ。又『藤原義江のふるさと』は当時の撮影に合わせて一秒21コマでの上映になるらしい。もう、見ない訳にはいかない作品だらけなのだが、一日に二本づつの上映であるから、一作品あたりの上映の機会も限られて来る。日程を合わせるのが大変だ。『愛怨峡』なんか、混むだろうなあ。二時間前に行って入れるだろうか。
●然し溝口作品には失われた名作も多い。『霧の港』『狂恋の女師匠』『日本橋』『唐人お吉』などは、見る機会が完全に失われてしまった作品だ。見たい、見たい。でも見られない。溝口作品に限った事ではないのだけれど、戦前の日本映画は失われた作品が多すぎる。残念でならない。
●見られないと分かったものならば、せめて脚本でも読んで現物のよすがに縋ろうと思う。と云う訳で、この秋は戦前の名作映画のシナリオを読んでいる。先ずは溝口の最初期の名作『紙人形春の囁き』を読んだ。大正末年の映画。無論無声映画だ。脚本は田中栄三。
●両国の糸屋「糸半」の娘お種が主人公。彼女は近所の象牙細工屋の息子純夫が好きである。紙人形を拵えては「純さま」などと書いて物思いに耽っている。父の半兵衛は道楽者で、芸者遊びに現を抜かしている。一方、兄銀之助はカフェの女給愛子と恋愛関係にある。銀之助は愛子と結婚するが、父半兵衛は、こういう今ふうの女は大嫌いである。愛子は愛子で、此れが又あばずれ。家庭内が不和になるのも無理はない。
●年の瀬、浅草の歳の市に出かけた帰り、お種は純夫と二人、柳橋の蕎麦屋の二階の座敷へ上がり、其処でただならぬ仲になる。脚本はコンテまで兼ねた描写。蕎麦をたぐる二人の手。其の手が止まり、胸元を寄せ合ったかと思うと、二人倒れこむ。部屋の襖の大写し。書かれた文字「雨が降ろうと霰が降ろと 濡れた仲なら 厭やせぬ」。二人の情交を匂わせ、糸屋を掛けた都々逸で、何とも江戸前な描写の指定が書いてある(この場面は有名だが、のち検閲で切られたとも云う)。
●やがて純夫のパリ留学が決まり、彼が旅立って行くところまでが前半。ここまではお種と純夫の純真な恋物語が描かれる。お種が梅村蓉子、純夫が岡田時彦。
●後半は一転、急展開の悲劇となる。お種は純夫の子を身籠った事を知る。純夫との結婚を急ぐが、街の占い師に聞くとこの結婚は「大凶」と出る。気に病みつつも帰国した純夫と祝言をあげる。祝福される二人だが、自分の時半兵衛に猛反対された兄嫁の愛子は此れが気に食わないでいる。
●半兵衛が急死する。両国で相撲見物中、相場失敗の知らせを受けて昏倒、其の儘死亡したのだ。更に純夫の実家の象牙屋が倒産する。お種には子供が生まれるが、間もなく夫の純夫までが病気にかかって死んでしまう。「大凶」が続々的中していく。
●ラストシーンは、純夫の死を知った後、赤ん坊を抱えたまま雪の降る両国の街をさまよい歩くお種の姿。彼女の見る幻想。美しい糸が次々と彼女に絡みつき、暗い海の底へ彼女を引き込む。今は閉まっている「糸半」の店の前で倒れ込むお種。降りかかり続ける雪。終幕。
●兎に角、情緒と哀歓の描出がが素晴らしかった云うことだ。脚本を読んでも其の雰囲気は充分に分かる。情感を表すのに、音声や音楽は必ずしも必要でないと云う事だろう。
●約八十年前の現代劇であるが、古風な伝統とモダンな風俗とを取り込んだ作品だった様で、其の意味でも見てみたい映画だ。古い商家のたたずまいが出て来れば、女髪結い床や、祝言の際の床盃なんていう儀式も描かれる。当時の浅草の様子も描かれていた筈。脚本には、両国橋の電車停留所も指定されているし、柳橋から国技館のイルミネーションが見える、なんて事も書かれている。無論、今の国技館でなく、昔の丸屋根の国技館である。一方で、カフェの様子なども出て来る訳で、こうした映像が失われたと云う点だけで既に惜しい。
●ただ、当時の映画評などでは、この作品の成功は、監督の手柄と云うより脚本の力が大きいなどとも言われていたようだ。実際脚本は素晴らしかった。読み応えがあった。作られた映画と対比してみたくてならない。『紙人形春の囁き』、どこかでひょいとフィルムが見つかったりせぬだろうか。
●この先、他にも色々ホンを読んでいく。
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